水面に魅せられて

By 🐦 杉 咲 (@sgsk.blue)
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クロード・モネの「睡蓮のとき」を上野国立西洋美術館で観賞しました。

印象派の巨匠であり、誰もが一度は見たことがあるフランスの画家。わたしが説明するのも烏滸がましいのですが、感じたことを残しておこうと思います。


まずもって大きい

今回の「睡蓮のとき」は、モネ晩年の作品、主に1900年以降の作品で構成されていました。齢50を過ぎてもなお、大きいキャンバスに精力的に向かうエネルギーを感じます。すべての作品が大判のキャンバスを使い水々しい色彩で描いています。

ちょうど窓の大きさに近く、額縁の中に庭園が広がっているようです。額の外にも庭が広がり、想像を引き立てられました。

裸眼で見る

印象派の作品は、裸眼で見よと言うのがわたしの見かたです。わたしは近眼でほぼ景色がボヤけて見えています。モネの作品はメガネ越しには何が描かれているのか一見では判断し難く、メガネを外して見ることによって水面が浮かび、モチーフの輪郭がハッキリを写り、草木、花々が輝きはじめます。

不思議な感覚でした。ボヤけているはずなのに、細部がハッキリと見えるのです。これまで他の印象派の絵画を観てきました(数は多くありませんが…)が、これほどに細密に見える絵画は初めての体験でした。

ただ全てがそう見えたわけでなく、数点はメガネを付けても外してもどうなっているのか読めない作品もありました。これはわたしの認識力が不足しているのでしょう。少し残念というか、悔しい気持ちになりました。

なぜそう描き、そう見えるのか

わたしが最も感動したのはその描き方です。

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例えば、睡蓮の花の部分。(睡蓮/1916-1919年頃/「睡蓮のとき」カタログ画集裏表紙より) 一見、細部を見るとひと筆でサッと塗った部分が不可解に見えるのですが、いざメガネを外して見ると、その部分が花の細部を表現しているひと塗りであり、キチンと意味をなしたひと塗りであることが分かりました。

これ、狙ってできるのか…??

そのひと筆、ひと塗りに迷いも細かさもなく、大きなキャンバスの中で生々と塗られたひと筆。偶然とは思えない、考えられたひと筆。どう混ざり合うのかすら狙ってやったとしか思えないひと筆。

随所にそうした表現が余すことなく描かれていることの感動。

そして塗られていない余白の部分もが絵の一部を成していました。意図的に作られた余白。塗る必要のない余白。(睡蓮とアガパンサス/1914-1917年頃/「睡蓮のとき」P110より)

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細かく観れば、なぜそう描くのか?と思う部分すべてがそう見えるように描かれていました。

幸せな時間

数多の巨匠の絵は観るだけでエネルギーを吸い取られるように感じます。 鑑賞後は本当に疲れてしまい、お腹が減ります。しかしそれが一番幸せの時間であり、絵画を観るために必要なエネルギーであると思います。

絵が好きなのは、そうした描き手と絵画を通して会話するような感じだからかもしれません。キチンと学べば学ぶほどに美しさが分かること。自分なりにその絵画から学ぶこと。たくさんの感じること。

それが面白いから美術が好きなんだろうなと再確認しました。

これほどのものが集まる機会はそうそう無いでしょう。 至福の時間でした。